2009年1月3日土曜日

人生で一番ショックを受けた日 ~激動の30歳ドキュメント1~

30歳。


人生の節目と言われるその歳を挟んで、私も大きな出来事があった。
激動の30歳を振り返ってみようと思う。勿論、診断士受験のこともそうだが、
診断士受験と関係ない事も多いので、予めご容赦願います。


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【2007年6月】

忘れもしない、2007年6月某日。

今までの人生の中で一番ショッキングな場面に出くわした日。

私は母が入院している病院に向かっていた。

前日に「最近、母親の容態が思わしくなく入院した。」

と弟からの電話を受けていた。

病院に向かっている途中、ここ半年の出来事を思い返していた。

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母は(胆のう癌)だった。

発覚したのは、2006年12月末。

この時点からは半年くらい前のことだった。

発覚したときは、まだ母は元気だった。

その連絡を受け、すぐに母に会いにいったが、

特に変わりもなく普段の母そのものだった。

その様子と、癌の怖さの意味を理解していなかった私は、

ほっと安心してしまっていた。



医者からも、

「進行度合い的にはステージ3(ほとんど末期)だが、癌も小さいから、手術ではなく抗がん剤治療で、弱らせてから手術できる機会を伺いましょう。余命とか、そういうものじゃないから、騙し騙しじゃないけど、様子を見ながら治療を考えていきましょう。」

という楽観的なものであったから、それを真に受けていた私は

何の根拠もないが、ああきっと心配ないんだなと思い込んでしまった。

検査入院から退院した後は自宅療養だったので、たまに顔を見にいったけど

普段どおりで特に具合が悪そうということもないように思えた。

ただお腹がちょっと重いということはずっと言っていたが。



【2007年2月】

私の仕事が忙しくなり、なかなか会いにいけなくなった。

主に携帯メールで連絡をとっていたが、

あまりにも普通の会話をしていたので、

特に心配はしていなかった。まして死についてなど。



【2007年4月】

抗がん剤の影響か、癌の影響か、胆のうの機能が落ちているということで

胆のうの管を補強する意味で金属の管を入れる手術をする為に入院した。

入院したということで驚いて、病院に向かったけど、

思いの他、元気で、顔色も良く、普通に病院内も歩き回っていたので、

大したことなかったんだなと、安心していた。



【2007年5月】

母の日にちょっと高価なプリザーブドフラワーを贈った、母は花が好きだったから。

郵送で贈った為、すぐに母からお礼のメールがきた。

そのメールの何気ないやり取りの中で、結婚を考えている彼女に会ってほしいと

切り出してみたが、実は最近は体調が芳しくないから、もうちょっと後にしてくれという。

きっと照れ隠しなのかな?と思った私はバカだった。



「薬が効いて、頭がぼうっとする事が多い、メールも自分で書いてる感じがしなくて、必死に書いてる。」

と言っていた。私はイマイチ意味を理解できなかった。

自宅療養の時には、抗がん剤は投与しないはず、

他の抗生物質などでそういう副作用があるのかな?と安易に考えていた。

風邪薬などで、眠くなるのと同じようなものか、と。

本当にバカだった、私は。

(後でわかったことだが)母をそういう状態にしていたのは、

痛み止めであるモルヒネだった。

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【2007年6月某日】

そんなことを思い出していると、病院に着いた。

ここ1〜2ヶ月ほど、仕事に追われ、母に会えていなかった。

母が入院しているという病室に叔父と弟と入った。



ベッドに寝ていたのは、別人となった母だった。

やせこけた、顔、体。

黄疸が出て、真黄色な顔、目、肌。

目に見える全ての姿が、これまで私の頭の中にある母親の姿と異なっていた。

「(え・・・。どうして・・・。)」

何も言葉を発することができなかった。

私は一瞬でパニック状態に陥った。



母の前で泣く訳にはいかなかった。

母の前では笑わないとダメだ。

そう思っても、自分の感情がそれを許さなかった。

気がついたら、病室を飛び出していた。

離れたロビーまで走った。

声を出して泣いた。

皆が見ていた。そんなことも気にする余裕もなく、泣き続けた。



どのくらい時間がたったのだろう。しばらくして病室にいってみると

まだ叔父と弟がいた。改めて母を見つめる。直視できないほど、やつれた姿。

母は寝ていたが、目が覚めたようで、私の方を見た。

「わざわざ、ごめんね・・・。」

元気が無い、しかし、しっかりとした口調でそう言った。

「(なんで謝るんだよ・・・)別に大したことないよ。体調は大丈夫?」

精一杯、平静を装って、私はそう答えた。

「まぁ、、、しょうがないよね・・・。」

母は、もう全てを悟っているかのようにそう言った。

思わず、母の手を握りしめ、

「何言ってんだよ、しょうがなくねえよ、まだまだ、これからでしょ・・・。」

そう返したが、握り締めた母の手は点滴の影響か・・・、パンパンに膨れ上がり

黄疸で真黄色になっていた。



担当医に別室に呼ばれ、説明を受けた。
(この病院は母の家の近くの病院で、当初に癌治療を開始した病院ではなかった)

既に頭が真っ白になっていた私は、医者の言葉を理解するのに時間が掛かった。

「お腹が膨れているのが分かりましたか?癌性の腹膜炎、つまりお腹の中が癌だらけになっています。もう手の施しようがありません、痛みを取り除いてあげることしかできません。申し訳ないですが、いつ亡くなってもおかしくない状態です。今月中もつかどうか・・・。」

「(何言ってんだ?この医者は・・・)」とも思ったが、予想していた言葉でもあった。

「そうですか・・・。」

とだけ、答え、部屋を出た。

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つづく


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2009年1月2日金曜日

今年は・・・

既に元旦は過ぎてしまいましたが、

明けましておめでとうございます。

今年も宜しくお願いいたします。




今年のテーマは「人格の向上」です。

人間力と言い換えてもいいのでしょうか。

自分の生活(仕事も私生活も)においては、

「原因と結果の法則」ではないですが

結局は内部要因(自分)に全て原因がある。

そういう事に気付きました。




私は何事においても、外部要因を言い訳として、

モチベーションの波が激しく

それによって、行動も決定されていましたが

それなりに結果を残せていたから、

それに満足していたのかもしれません。

やはりそのレベルを突き抜ける為には、

パラダイム転換が必要と認識しました。




そんなに簡単な事じゃないので、過去も振り返りながら

意識を少しずつ変えていこうと思います。

今年というか、今後の人生のテーマになるのかなぁ。

そのテーマありきでの、仕事なり、プライベートなりが

あるわけですからね。




とはいえ、そんなにかしこまる必要はないので、

ブログもこれまで通りやっていこうと思います。




さて、そのテーマとは関係ないですが、私は31歳です。

30歳という年齢の時に診断士を志したわけですが、

30歳という年は人生の節目だとよく言われます。

私も30歳を挟んで、本当に大きな出来事がありました。

診断士受験と絡ませて、激動の30歳を振り返ってみようと

思います。




なので、次回のエントリからは「Dぴょん:30歳のドキュメント」を

しばらく書いていこうと思います。




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2008年12月29日月曜日

875人という合格者数

先日参加したセミナー(説明会)にて、面白い話を聞いた。

中小企業診断士試験の合格者数は、

中小企業診断士の総人数を最低限維持する目的で

決定されるというものだ。

(普通に考えれば、当たり前か。他の士業も同じと思われる。)

以下、聞いた話とオイラの想像をMixした考察である。



でも、今年の合格者数は875人

ここ数年より、約70人程度多い。なぜだろう?

まず、合格者の過去の推移を見てみると、以下の通りになる。

平成11年:716人
平成12年:615人
平成13年:627人
平成14年:638人
平成15年:707人
平成16年:646人
平成17年:702人
平成18年:805人
平成19年:799人
平成20年:875人

平成17年までは、600~700人位、

平均すると650人くらいの合格者だったのが、

平成18年、19年では約800人となっている。

平成18年からの増加は、中小企業庁による

中小企業診断士の絶対数を増やすという政策によるものだろう。

試験制度の変更(1次の科目合格制導入など)も、

それを目的としたものだ。




では、今年(平成20年)は何故、

例年より合格者数を増やしたのか?

まぁ、中小企業庁の政策に従って

徐々に増やしているのかもしれないが・・・。

違う視点から考えてみる。




平成18年には試験制度の変更のみではなく、

他の制度も改正され、5年に一度ある

中小企業診断士資格の更新要件も変更された。

【中小企業診断士更新登録要件】
1.知識の補充要件(理論政策更新研修など5年で5回以上)
2.実務の従事要件(中小企業の経営診断業務など5年で30日以上)
※2.が以前は5年で9日以上だったのが30日以上に増加した

中小企業庁の政策では

中小企業診断士の絶対数を増やすという方針がある一方、

中小企業診断士の実態としては

近年は資格取得者の殆どがサラリーマンであり、

中小企業の経営診断・助言業務などは

行えていないということもあり
(以前は独立診断士も多かったみたいだが・・・)

ある方面から「中小企業診断士不要説」が勃発、

更新要件を更に厳しく求める動きがあった、
(草案は上記要件よりさらに厳しかった模様)

要は診断士の代わりは税理士や会計士でも出来るでしょ?

という意見があったわけだ。

これには当然、大騒ぎとなったわけだが、

色々な方のご尽力のおかげで、

上記のような制度変更に落ち着いたみたい。




落ち着いたとは言え、更新要件が厳しくなったのは事実。

これまで毎年度の登録更新における

失効者(更新要件を満たせなかった人)

50人程度で推移してきたのが、

今年は一気に350人程度に大幅増加。
(予想は100~150人程度だったみたい)

これは相当予想外だったのだろうと思われるが、

当初予想の失効者100~150人(例年+50~100名)という線で

合格者数を既に決めていたのだろうと想像される。

つまり、中小企業診断士の総数を最低限維持しなければ

ならないのだから、失効者の数も想定(or実測?)して

合格者数を決めるということだろう。




合格者数の決定の裏にはこんな話(あくまで想像?)があったのかと

思うと、なるほど~、色々と厳しいものがあるなぁと考えてしまう。

しかし、どこの馬の骨かもわからん奴(どっかの大学教授か?)に

診断士が不要なんて言われる筋合いはない!



本来の目的とはちょっとズレるかもしれないが、診断士の地位向上は

今後の我々にとって不可欠な課題になりそうと感じた。

既にそういう活動をされている診断士の方々もいるので、色々と話を

聞いてみたいものです。





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