2009年1月4日日曜日

最後の日々 ~激動の30歳ドキュメント2~

【2007年6月某日】

自分の頭の中にある、当たり前の母親の姿とは

全く異なる姿を目にしたことが、あまりにもショックだった。

もう他の事が考えられなくなっていた。

今の私に出来る事があるのか?



翌日、会社に出勤して事情を話し、午前中に多少の引継をして

しばらく会社を休ませてもらうことにした。

せめて最後だけは、看取りたい。

それだけが、私に残された最後の親孝行だった。



幸い、仕事も過渡期でなかった為、上司も快く、了承してくれた。

同僚・部下には迷惑を掛けてしまい、申し訳ないが、本当に感謝している。



早速、身支度を整えて、実家に向かった。

危篤という状態ではないので、付きっきりという訳ではない。

ただ、面会時間はなるべく病院にいるようにした。

痛み止めのモルヒネの量が増え、痛みを無くす代わりに

意識も朦朧としていた。それでも息子の私が来ると分かるのか

話かけてくることもあった。

「会社は大丈夫なの?」

「迷惑かけてごめんね。」

ろれつが回らなくなり、聞き取るのも次第に難しくなっていったが

私の心配ばかりしていた。



母と二人きりの時間が続いていた。

ただ痛み止めの影響で、殆どは寝ている。

私は、母の顔の汗を拭いたり、手を少しの間、握ったり

するくらいしか、出来なかった。

母が目を覚まし、話かけてきた時に、少し会話をする。

そんな時間が続いた。



仕事は、朝・昼・夜にメール確認などをするくらいで、

済ますことができたので、ゆっくりとした時間が流れていた。

病院にいる間は、気を紛らわす為に読書をしていた。

そうでもしないと、気がおかしくなりそうだった。

母の容態は良くないが、安定していたので、面会時間以外は

私は実家に戻り、過ごした。

一人でいると、色々なことを考えてしまう。

殆どは、母のこれまでの人生、そして・・・私が抱く後悔の念だった。



(なんで、私の母親なんだ?)

(なにも、母は悪い事してないだろ?)

(他に死んでいい奴、たくさんいるだろ?)

(なんで?なんで?なんでだよ・・・)

(誰でもいいから、助けてくれ・・・)



そんな、どうにもならないことばかりを考えていた。

癌と分かってから、私は何をしてたんだ・・・。

もっといい病院なり、医者なり、探す努力をしたのか・・・。

こんなことになるなんて・・・。ちきしょう・・・。



母子家庭だった私達の最後の日々が少しの間、続いた。

そして、母に残された時間が無くなろうとしていた。



つづく



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