2009年1月6日火曜日

別れ ~激動の30歳ドキュメント3~

【2007年6月29日】

母の意識は日に日に、無くなっている様だった。

モルヒネの量も増え、これ以上は増やせないほどになっていた。

私は不謹慎かも知れないが、心の中で

「(もういいよ・・・、母さん、頑張らなくても・・・。)」

と思い始めていた。もう母のそんな姿を見ていられなかった。

それは母の事を思ってなのか、自分が耐えられなかったのか、

もう、よくわからなかった。



そんな中、母の容態が急に悪化していった。

心臓の動きが不規則になっていった。

私は母の手を握り、

「母さん・・・ありがとう。」

「俺はもう、大丈夫だから、心配しないで・・・。」

そう伝えた。母も意識が朦朧としている中、理解できたかは

わからないが、私と目が合った。うなづいているように思えた。

これが、母と最後に交わした会話だった。



それから、母は夜通し、必死に頑張っていたんだ。

心拍数が時折、200を超え、通常時の倍以上にもなっていた。

それは、まだ生きよう、生きたいと思う、母の生命そのものの動きだった。

そんな無茶な心臓の動きは永遠には続かなかった。



【2007年6月30日】

その瞬間、ドラマでもよく見るような、ピーという電子音とともに

母の心臓が停止した。呼吸も停止した。

それまで命の火が灯っていた母の目の光が一瞬で無くなった。

医者はお決まりのセリフを口にした。

これは現実なの?あっけなさすぎるよ・・・。

まだ現状を理解できないままでいるのか、

涙が出なかった。



私が30歳になる5日前の出来事だった。



つづく



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2 件のコメント:

ペパチェ さんのコメント...

いろいろとうらやましいと思っていたけれど、想像を絶するような経験を踏んできているんですね。改めて、Dぴょんさんが合格できてよかったと思いました&自分も親を大切にしないとなー。

Dぴょん さんのコメント...

>ペパチェさん

ありがとうございます。
ちょっと暗い話にしてしまい、ごめんなさいね。「親孝行したい時には親はいない」って本当ですよ。できるうちにしてあげてくださいね。