母の意識は日に日に、無くなっている様だった。
モルヒネの量も増え、これ以上は増やせないほどになっていた。
私は不謹慎かも知れないが、心の中で
「(もういいよ・・・、母さん、頑張らなくても・・・。)」
と思い始めていた。もう母のそんな姿を見ていられなかった。
それは母の事を思ってなのか、自分が耐えられなかったのか、
もう、よくわからなかった。
そんな中、母の容態が急に悪化していった。
心臓の動きが不規則になっていった。
私は母の手を握り、
「母さん・・・ありがとう。」
「俺はもう、大丈夫だから、心配しないで・・・。」
そう伝えた。母も意識が朦朧としている中、理解できたかは
わからないが、私と目が合った。うなづいているように思えた。
これが、母と最後に交わした会話だった。
それから、母は夜通し、必死に頑張っていたんだ。
心拍数が時折、200を超え、通常時の倍以上にもなっていた。
それは、まだ生きよう、生きたいと思う、母の生命そのものの動きだった。
そんな無茶な心臓の動きは永遠には続かなかった。
【2007年6月30日】
その瞬間、ドラマでもよく見るような、ピーという電子音とともに
母の心臓が停止した。呼吸も停止した。
それまで命の火が灯っていた母の目の光が一瞬で無くなった。
医者はお決まりのセリフを口にした。
これは現実なの?あっけなさすぎるよ・・・。
まだ現状を理解できないままでいるのか、
涙が出なかった。
私が30歳になる5日前の出来事だった。
つづく
2 件のコメント:
いろいろとうらやましいと思っていたけれど、想像を絶するような経験を踏んできているんですね。改めて、Dぴょんさんが合格できてよかったと思いました&自分も親を大切にしないとなー。
>ペパチェさん
ありがとうございます。
ちょっと暗い話にしてしまい、ごめんなさいね。「親孝行したい時には親はいない」って本当ですよ。できるうちにしてあげてくださいね。
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